身体は神の神殿である

一昨日、「身体は心の歴史である」を書いているときに

思い出した言葉があります。

「身体は神の神殿である」という言葉です。

ヨガでは、時々この言葉を聞くことがありますね。

ヨガとは・・・何のためにヨガをするかということについては・・・

いろいろな解釈がありますが、

ヨガとは健康のために身体を動かすだけではなくて、

そこにはもっともっと深い意味が含まれているようです。


瞑想のためにヨガをするのだという解釈もそこでは成り立つようで、

瞑想は、心を静めておこなうもの、

そして、そのためには揺るぎない身体を作り、

まず自分の身体を神殿のごとく聖なるものとし、

その神殿から、神の領域というか・・・無限の世界の旅をする・・・

意識の世界の旅ですよ・・・

意識を集中させて、無限の世界へ・・・未知の領域へ・・・

まだ見ぬ素晴らしい世界へ・・・

旅立つのです。


瞑想は雑念に絡まれますから、

まず手始めに、身体を聖なる神殿にしましょう・・・

そうすれば、聖なる気づきの世界のドアを開くことができるかもしれない・・・

そういうことなのだと思います。

そこから「身体は神の神殿である」と言われるわけですよね。


ヨガでは、

食べ物にも、

呼吸にも、

姿勢にも、

考え方にも気を付け、

そして、その上で、瞑想の世界に入ります。


ヨガでは、私たちはみんな、繋がっていると言われています。

が、そのようなことを言われても、みんな、私たちの身体は離れていますよね。

くっ付いていません。

肉体はそれぞれ物理的に別個のものです。

私たちの眼に見える範囲ではですが・・・


そこで、よくたとえられるのが、

海の大海が私たちのの源(ソース)だとして、

私たち一人一人はその海の波、一つ一つだと言います・・・

海の上に波が一つ立てば、それが私・・・

波が出来て、出来たと思ったら消えてしまった・・・

それが私の人生・・・・

何と儚いもの・・・

何と短いものなの・・・

でも、たくさんの波は海を通して繋がっています・・・

波はすぐに消えますが、でも、またすぐに新しい波が出来ます・・・

それもまたすぐに消えますけどね・・・


「身体は神の神殿である」という言葉を思い出していたのですが、

ヨガや瞑想などは、余りに大きくて、余りに深くて、

だからこそ、惹かれていきますが、

そのたびにそこはいつも別の世界で、別の顔を見せ、

時には魅惑されますが、時には謎解きのよう・・・

意識を意識することをつい忘れ、雑念に覆われたり、

でも、その隙間から素晴らしい世界が垣間見え、その世界に浸ったり、味わったり・・・

いろいろですね~


身体って・・・自分の身体ですが・・・

不思議なものですね~





ササグモがバラの蕾を守っています。
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クレマチスが咲きました。
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みなさま、素敵な一日をお過ごしくださいね!




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by gutsuri | 2017-05-01 21:00 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

介護の極意は喜ばせること。2013年7月に満百歳になった母と共に花や音楽から元気をもらっています。無農薬、無肥料でバラを育てています。母は2016年11月に103歳4カ月で旅立ちました。。


by gutsuri