長寿と長命は意味が異なるそうです

高齢化社会に突入した昨今です。

2015年9月で、国内で百歳以上の人口は、6万1568人となりました。

百歳以上の高齢者は珍しくありません。

私の周囲からも百歳を超えた長寿の方の話を耳にすることがあります。

ヘルパーさんにお聞きすると、百歳以上の方のお世話をしていらっしゃるようですし、

リハビリの先生が来られる老健にも、百歳を超えた方はいらっしゃいます。

私は神奈川県に住んでいますが、

神奈川県の百歳以上の高齢者は、何と3315人もいらっしゃるのですよ。

長寿の方がこんなにたくさんいらっしゃって本当に素晴らしいですね。

長生きが出来るているという事は、

その人に生きようとする意志があってのことですから、

百歳以上の高齢者の皆さん、それぞれ、

もう少し、いま居るこの世界を楽しんでいたい・・・

まだまだ大丈夫だ、この調子で生きていこう・・・

今日は楽しい一日だった、明日もきっとそうだろう・・・

日々の中に、喜びを感じることがあって、

不自由な身体ながらも、幸せを感じて、生きていらっしゃるのでしょう。


長寿と長命と、似たような言葉がありますが、

私はこの二つの言葉の意味の違いを知らなくて、

区別することなくこの二つの単語を使っていました。

が最近、長寿と長命という言葉が持つ意味が異なることを知りました。

長命とは、ただ長生きしていることで、

長寿とは、身の回りのこともしっかりと出来て元気に生きていることだそうです。


正直なところ、この二つの言葉の意味を知って、胸中複雑です・・・

ひとつはっきりしていることがあります。

それは、歳をとると病気や肉体的な衰弱は必ず起こるという事です。

あの世に旅立つまで、健康で自立出来ていることは皆の望むことですが、

老いや加齢というものは、それほど甘いものではなくて、

うす暗い影をしっかりと引き連れてくっ付いてきます。

「元気に健康で百歳まで生きましょう」というフレーズは、

今、ネット上でたくさん見られます。

本当にそうありたいと願っています。

しかし、終着点は必ず来ますし、

終着点に近づいてきた時、そして、終着点に着いた時、その人がどのように感じるか・・・

これが最も大切なことだと考えています。


命とは何か・・・

障害とは・・・身体の不自由さとは何か・・・

生きるとは何か・・・

生きようとする意志は・・・


長寿と長命、この二つの言葉の違いは、大きな意味合いを含んでいると感じました。

健康は万人の望むところです。

もちろん、私も健康でありたいと願っていますよ。

健康に注意して、食べ物にも運動にも注意して過ごし、

終着点まで人の手を借りずに過ごしたいと思っています。

母は99歳まで自分のことは大体自分でできていました。

が、如何せん歩けなくなりましたから、

人の手を借りて、そのおかげで日々の暮らしが成り立っています。


長寿というのは、日々を楽しみ、周囲と調和して、穏やかに暮らすこと。

病気の高齢者であっても、病気と仲良く付き合い、その日を味わい深く暮らすならば、

それは長寿と呼べると思いますよ。

歩けなくとも、不自由な身体でも、病に侵されていようとも、

生きようとする意志があって、

その日を精一杯生きて、

小さな喜びや楽しみをそこここに感じることが出来るならば、

それは長寿ですよね。

健康の大切さは承知の上ですが、

昨今の健康至上主義が、少々気になっています。

健康ではなくとも幸せを感じている・・・

終着点では、このようにありたいものですね。


「どんな状態にあろうとも、その人がどのようにあるかが大切なことで、その状態は問題ではない」

これはバシャールの言葉だったと思いますが、今ふと思い出しました。

魁アヤメが満開です
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by gutsuri | 2016-05-02 19:07 | 長寿 | Trackback | Comments(0)

介護の極意は喜ばせること。2013年7月に満百歳になった母と共に花や音楽から元気をもらっています。無農薬、無肥料でバラを育てています。母は2016年11月に103歳4カ月で旅立ちました。。


by gutsuri