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介護の極意は喜ばせること。2013年7月に満百歳になった母と共に花や音楽から元気をもらっています。無農薬、無肥料でバラを育てています。


by gutsuri
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ここ数日、穏やかで暖かい日が続いています。

有難いですね。

お天道様が顔を出して、地球上の全てを包み込んでくれているように感じます。

この陽気につられて、外に出て草の一本でも抜きたくなりますね~

バラがボチボチと咲いています。

我が家のバラはボチボチ咲くのです・・・気まぐれ屋さんばかりです・・・

その中でも寒さに強いイングリッシュヘリティッジが2輪咲いています。
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バフビューティー
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マルゴコスター
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バラの蕾がいくつか・・・
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レオナルドダビンチとモナリザの微笑みはいつも2~3輪咲いています。

テントウムシが草の陰にいましたよ。二つ星テントウムシですね。
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そして、また、キドクガの幼虫が一匹、斑入りサカキにいました。
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周囲を探しても一匹だけだったので放っています・・・

斑入りサカキには小さな蕾がたくさんついていました。
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鈴の形をした小さなピンクの花をたくさんつけます。

10月に野菜が高値になった時にルッコラの種を蒔きました。

こんなに育ちました。サラダに入れて食べています。
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パセリはまだこんなに小さい・・・
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11月末には小さなアブがバラの花の周りを飛んでいました。

今はもう姿はありませんね。

小さなクモは時々見かけます・・・が、見慣れたハナグモやササグモではありません・・・

もう師走に入りましたね。

本格的な寒さはこれからです。

キドクガの幼虫は寒さの中、蛹になるのでしょうか・・・

蛹になって冬越しするのでしょうか・・・どうなのでしょう・・・

キアゲハの幼虫でも、遅く生まれた(9月末とか10月とか)ものは蛹で越冬しますから・・・

キドクガの幼虫・・・ちょっと気になります・・・


多くの生き物たちは卵を産んで土に還りました・・・

来年の春から夏にかけて、

卵から孵ったその子孫がまた庭で姿を見せてくれます。

嬉しいですね・・・

季節は巡り・・・生命も巡る・・・


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# by gutsuri | 2016-12-06 07:00 | ナチュラルガーデン | Trackback | Comments(0)
一緒に住んでいる高齢者に変化が起きて、

ヘルパーさんや訪問入浴や訪問リハビリを頼まなくてはならなくなったとき、

これは急なことが多いので、このことを前もって準備し、調べている方は少ないように思うのですが、

実は私もその一人で、そのようなことを全く考えたこともありませんでした。


何も知らないですから、まず、ケアマネさんと相談しますよね。

ヘルパーさんや訪問入浴の事業所をいくつか紹介してもらい、

それぞれの特徴を説明してもらっても、

体験していないことはよくわからなかったですね。

結局はケアマネさんに決めていただいたような気がします。

ヘルパーさんや訪問入浴のやり方は、大体決まっているようですが、

個人の好みのようなもの、相性のようなものはありますし、

事業所の方針は、微妙に異なっていたりします。


寝たきりになった母は、

毎日朝と夕方来て下さるヘルパーさんを心待ちにしていました。

ヘルパーさんとの会話を楽しみにしていました。

誰かが来てくれるというのは、嬉しいことなのですね。

介護保険を利用して

ヘルパーさん、訪問入浴、訪問リハビリ、ベッド、床擦れ防止エアマットなどが利用できましたから、

在宅で看ている家の者は本当に助かりました。


母が亡くなって、久しぶりに従妹(母の妹の娘)と話をしました。

我が家での母の様子をあれこれ話していて、

介護保険を利用することを母に納得させるのがすごく大変だったという話をしました。

母は「お国のために自分は何が出来るか」をまず考える人でしたから、

「お国に何をしてもらうか」など考えていませんでした。

その時89歳だった母は自分の考えを話し、自分のことは自分で決める勢いでしたから、

「この家では協力してやっていくのよ」とかなり強い口調で私が言い切ったのを覚えています。

叔母も同じだったそうです。 「お国のために何が出来るか」・・・です・・・

叔母は最期まで、90歳で亡くなるまで、介護保険を利用しなかったのだとか・・・

驚きました。

従妹は、「刷り込まれていた」と表現しましたが、

母や叔母は、そういう時代に育ったのですね。


穏やかで安らかな在宅看取りが出来たのは、介護保険を利用出来たおかげです。

在宅で介護すると、自分の好きなように介護をアレンジできますから、

介護する方もされる方も、ある程度の自由があるように思います。



ポンポネッラが咲いています
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# by gutsuri | 2016-12-04 07:00 | 介護 | Trackback | Comments(0)
母が99歳で転倒して歩けなくなってから私の介護が始まりました。

それまでは、歩ける間は、母は自分のことは曲がりなりにも大体自分で出来ていたので、

自分でできる間は自分でする方が母のためにもなると思い、

私が代わりにした方が時間がかからないし、手っ取り早い場合も多々ありましたが、

それでも自分で出来ることは母に自分でやってもらっていました。

私の介護が始まったのは、母が99歳で歩けなくなってからで、

母は103歳で亡くなりましたから、私の介護生活は丁度4年間なのです。


母のベッド生活が始まったときには、私は介護のことなど何も知りませんでした。

老いのことも、介護保険のことも、ベッド生活のことも、医療のことも・・・

本当に何も知らなかったのです。

高齢者と一緒に住んでいたにもかかわらず、

介護については考えたこともありませんでした~

母はしばらくは元気でいてくれて、いずれは死んでしまうのだろうな・・・

このように考えても、この過程がどのような状況に発展していくのかなど、

想像だに出来なかったのです。

母は健康で薬を何も飲まず、外の空気が好きで、外出を楽しみにしていました。

でも膝を痛めていたので、月一で病院に行き、塗り薬を頂戴していました。

これだけでした。


母が99歳、ベッドが母の全世界になってから、私の介護生活が始まりました。

初めに私が思いついたことは、おむつかぶれには気を付けなくてはいけない・・・でした。

ポータブルトイレをできるだけ利用しようと思い、母と二人で頑張りましたよ。

この時母は体重が60キロ以上あり、

私は以前は自分では腕に覚えありの類だと思いますが(ジム通いしていました)

母をポータブルトイレに座らせることは難しくて(母を持ち上げることが難しく)

天井にレールを走らせることはできるの?

扶美さんを吊り上げたいのだけれど・・・

などと、家族に相談したことを覚えています。

掛け声をかけて母と一緒に、セーノーと大きな声を出して頑張っていて、

ついに私はぎっくり腰になり、

2週間後のお正月は、寝正月でした・・・


身体が不自由になるとはどういうことなのか・・・

ようやくわかってきたのです。


身近にいる人が歩けなくなり、

トイレに行けなくなり、

ポータブルトイレも使えなくなり、

紙おむつ使用になりました。


みんな、歳を取ると、病気になったり、身体が不自由になったり、

今まで当たり前だと思っていたことが出来なくなってしまいます。

このようなことは、一般論として、私はわかっていましたし、

一般論として社会に幅広く知られていることですが、

それってどういうことなのか・・・

身体が不自由になるってどういうことなのか・・・

母が歩けなくなって初めて実感できました。

もし、私が母の介護をしなければ、わからなかったことです。

自分の身が老いて、自分の身体が不自由になるまで、わからなかったことなのです。

みんな、いつかは、身体が不自由になるのですよね。

介護をして初めて分かることがある。

本当に、介護はたくさんのことを教えてくれました。


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バフビューティーが咲いています
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# by gutsuri | 2016-12-02 07:00 | 介護 | Trackback | Comments(2)

母は旅立ちました 3

斎場で母の骨が出てきたときに、

家族が係りの人に「骨の状態はどうですか?」と聞くと、

「かなり弱っていてボロボロですね~」とその人は答えました。

見ると本当に、大きな骨などありませんでした。

99歳から103歳で亡くなるまで、母はまったく歩いていないですし、立つこともできなかったのです。

膝を痛めていたので立てなかったのですよ。

立つとか歩くとか・・・このような動作は身体に必要なことなのですね。

歩いたり立ったりして、内臓や骨に刺激を与えたり、重心をかけたり、動かしたり、

人間の身体は動いてこその身体なのだと骨を見て実感しました。

面白いことに、骨の中にはきれいな形で残っている骨がありました。

あごの骨はきれいな形で残っていました。

それを見て思わず家族と笑ってしまいましたよ。

最期まで、普通食をしっかりと噛んで、自分で食べていましたから、

あごは毎日しっかりと動かしていました。

あごを動かすことで、脳にも刺戟が行っていたのかもしれません。

ボケているところもありましたが、しっかりしているところもまだ残っていましたから・・・

それから、頭の骨もそれとわかるような形でしたね。

それは本当に母らしい骨・・・

骨にも個性が見えますね。


母が23日に亡くなって、

次の日、24日には、54年ぶりの大雪になりました。

驚きましたね~

ヒマラヤの聖者が断食をして命を絶った次に日に大雪が降ったという話を

4~5年前にヒマラヤにトレッキングに行った人が現地で聞き、

母が亡くなった次の日に大雪が降ったので、

この話を思い出したそうです。

24日は雪が降り本当に寒い日でしたが、

母の身体の両側には大きなドライアイスが置かれていて、

見るたびに寒さで震え上がりましたよ・・・


もう、母はいませんし、ベッドもありません。

片付けも始めましたから、部屋の様子もちがっています。

でもそこを通るたびに、母がいたところを通るたびに、

自然とそちらの方を見てしまいますね・・・

去る者は日々に疎し・・・

その気配もだんだん薄れてくるのでしょう。

寂しい気もしますが、それで良いと思う気持ちもありますね・・・

母はたくさんの思い出を残して去りました・・・

胸の引き出しにたくさん入っています・・・それで十分です・・・


2~3日前の空に現れた天使のはしご
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# by gutsuri | 2016-11-30 07:00 | 百寿者 | Trackback | Comments(2)

母は旅立ちました 2

昨日母の葬儀が終わりホッとしています。

家にいても、今までは母のことが気にかかっていましたが、

今は気になることが他にないので手持無沙汰の日々ですね。

母の後片づけはありますが、ゆっくりとのんびりとするつもりです。


母は脳の右側の小さな血管が詰まったらしく、軽い脳梗塞を起こしたのです。

水分摂取を最小限にしていたので、

血液サラサラどころか、血液ねっとりだったと考えられますから、

軽い脳梗塞も不思議ではありません。


20日の日曜日にお昼ご飯は食べたくないと言い食べませんでした。

今思えば、この時から身体に異変が起きていたのだと思います。

21日の月曜日、朝声をかけると、母はいつもの調子ではありません。

私が声をかけ起こしても、私の声掛けに母は反応するのですが

母は半分眠った状態で、何を言っているかよくわからないのです。

目の焦点が合わせにくい様子で、

扶美さんはよほど眠いのだろう、一日寝かしておいてあげよう・・・

そして、朝のヘルパーさんやリハビリなどをお休みにしたので、母は一日寝ていました。

22日の火曜日、朝、母の様子を見ていると、

呼吸が少し荒くなっているのと、

左腕が腫れている・・・浮腫んでいる・・・しかも動かない・・・自分で動かせない・・・

すぐに先生に往診をお願いしました。


母を診る先生の表情が明らかにいつもと違っていることがわかりました。

母の手を握り、注意深く4~5分ず~っと母を観察していたのですよ。

先生は、母がつばを飲み込む様子を見ていました。

左腕が腫れて動かないのは、脳の右側が軽い脳梗塞を起こしているからで、

嚥下にもそれが影響している可能性がある・・・

日曜日、月曜日と二日間飲まず食わずで眠っているわけで、

でもこちらが話しかけると、目を開けて答えようとする・・・

舌が麻痺しているのでうまく話せない・・・

それでも、いつものように「あいがおう(ありがとう)、あいがおう」と先生に何度も言っていました。

不自由ながらも自分が伝えようと思うことは、話そうと努力して話していました。

この時の先生のお話は、

母の身体が収束というか終わりに向かって準備を始めたこと、

それでも、点滴は今はしないほうが良いことなどを話されました。

先生の言われていることは、よく理解できます。

スプ~ンに少しの水を口に含ませるだけで、母は咽って苦しむのです。

一滴の水が喉を落ちただけで、心不全独特のゴボゴボという咳が始まるのです。

身体が水分を受け入れようとしていないのに、もし点滴するとどうなることか・・・

想像しただけで怖くなります・・・

先生から細かい注意を受けて、ある程度の覚悟はできました。


扶美さんに、何か食べたいものはある?と聞くと、

一生懸命に私に言うのですが、それが何か聞き取れないので、

ペンで紙に書いてもらいました。

右手は今までどおり自由に動くのですよ。

私が出した紙には書かなくて、そこにあったその日の新聞の一面の余白に母が書いたのは、

たくさんの小さな丸とたくさんの短い線でした・・・

アイスクリームにしようねと言うと、少し笑みがこぼれました・・・

アイスクリームを少し口の中に入れると、そのほとんどが口から流れ出てきます。

甘さを味わっただけも良かったと思っています。

火曜日はこのような会話が母と出来ました。

水曜日は、私の言っていることはわかっていても、

もう、それに反応することはできませんでした。

でも、私が話していることや周囲のことを母がわかっていることは、伝わってきました。


日曜日に母が眠り始めたときから、

お箏のCDをかけると、母は音楽に聴き入っていました。

音楽を聴きながら不思議な世界を飛び回っていたと思います。



11月17日の夕日
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# by gutsuri | 2016-11-28 07:00 | 百寿者 | Trackback | Comments(2)